リスクの概念
2006年5月3日http://www.wizards.com/default.asp?x=mtgcom/daily/zm41
賢明なる読者諸君には、これまで私が書いてきたゲームのシチュエーションとアドバイスにパターンがあるのをご推察のことと思う。MTGは無限の可能性と戦略の深さがあるゲームだが、その中にある基本的な原則が君の役に立つ。君のゴールは勝利で、それを念頭に置いた全ての決定がゲームの流れや勝つ可能性につながっていく。勝利が確定しているときでも、もうどうやっても負けるときでも役に立つトリックがあり、今回はその全体像の理解のため、リスクの概念を見ていきたい。まず私が言わんとする概念が分かりやすいデッキ構築から入り、まだよく扱っていない事柄について筆を進めよう。
MTGというゲームの中には、どれほどの努力にもかかわらず、たくさんの誤ったことがまかり通っている。しかしそれぞれは間違っていても、まとまるとそのリスクが最小化されたり消えたりすることもある。土地事故を起こしたくなければ、土地は多めに。2マナクリーチャーを出したいなら、たくさんプレイすること。除去が切れて大きなクリーチャーに殺される、というのが嫌なら小さいクリーチャーに使うのは控えること。プレイするべきカード、守るべきところを見極めよう。
MTGは明らかにリスクを強いるカードゲームだ。全てのゲームに勝ったり、あらゆる可能性から身を守る術などない。リミテッドでも、構築でも、デッキを組むのは何を警戒するか選ぶところから始まる。デッキ構築はジレンマの「原形」を見ることができるし、サイドボードでもそれは何ら変わりない。最も単純な例から始めると、どのデッキも何枚の、どのタイプの土地を入れるか決めなくてはならない。今日では使う土地を選ぶのは容易ではない。よい選択肢はたくさんあるが、2色以上をプレイしようとするなら、特にディセンションが入ってからは君が選び抜いた以外にもたくさんのやり方がある。例えば白赤青をプレイしていると仮定しよう。そうすると、ラヴニカのデュアルランドを12枚、ペインランドが12枚にお帰りランドが12枚。これに基本地形や印鑑などのサポートが加わってマナベースが出来上がる。
これらそれぞれに長所・短所がある。1種類の土地をデッキに入れれば入れるほど、その短所が顕著になる。デュアルランド1枚ならば安全にタップ状態でプレイできるが、あまりに数が多くなると2ライフ支払う場合も多くなり、それだけ自分の首も絞まる。ペインランドは短期的には素晴らしいが、長期的には色マナをダメージなしで出せないのでやがてライフが尽きてしまう。お帰りランドはデッキを遅くし、OwlingMineのような相手だと全く使い物にならない。基本地形は堅実だが、多色のサポートはできない。このため大部分のデッキは色々なタイプの土地を併用してリスクの分散を図っている。多くのプレイヤーがやっている大きな間違いとして、ある種類の土地を抜いて別の種類の土地に差し替えようとすることがあるが、これは百害あって一利なしだ。
つまりどういうことか?最初に4枚のペインランドを試してみていい感触だった。ところが5枚目を入れてみると引き過ぎたため外す。次にラヴニカのデュアルランドを使ってみて、6枚以上になるとライフが減りすぎるので削る。カードの差し替えはいつも簡単で楽しいものだ。誰もが1枚目のメロクは大好きだが、4枚入れても大丈夫であることに気づいた勇者が現れるまではしばらくかかった。この手のケース全てにおいて、同名のカードの1枚目より2枚目以降は価値が低い。ある程度で止めておけば君は丁度いい塩梅だと思うかもしれないが、おそらくそれは十分ではない。こうしたことが起こる理由の一つとして、プレイヤーはあるリスクを「背負うべきではない」と考えていることがある。望む色マナが得られないリスクは避けられないこともあるので仕方ないが、土地からのダメージが大きくなりすぎるリスクは避けられる。だがこの2つのリスクは違うように見えて同じだ。何かしら重要なものを犠牲にすることでリスクをゼロ、あるいは実質ゼロに抑えることもできるが、失われるチャンスはそれ以上だ。逆もまた真なり。ある種のだいぶ慣れてしまったリスクを「想定内の事態」と捉えることで、試す価値が出てくる事柄もあるかもしれない。
こうした現象はゲームの間いつでも起こっているが、具体例に入ろうとして非常に面白いことに気が付いた。これらがみなデッキ構築の際にした決定に由来するかのように思えるのだ。いつでもそうだとまでは言わない。確かにすべてそうというわけではないのだが、君が作り上げた選択肢が後でゲームの場に跳ね返ってくる。君はデッキのパーツを使ってゲームを行い、デッキは君にゲームの中で起こりうる事態とその可能性を教えてくれる。相手のデッキを知るということは相手の使っているパーツを知るということだ。決定が複雑になればなるほど双方のデッキに関する知識は深まり、発見も多くなる。そのためゲームの、とある一面だけ残りから切り離して考えることは不可能だ。
この事実は、私がまだ体系的に取り扱っていない中で最も重要な事柄に通じる。すなわち、単体除去の使用、特にゲームの序盤に出てくるクリーチャーに対してだ。見たもの全てを焼いて殴られないようにしようとすると、後からやって来る、より大きな脅威をどうにもできないかもしれない。しかし使い惜しみすると無用なダメージを受け続けるリスクがある。どちらにするか決めかねるようなら、確率の計算の出番だ。君は何を引き、君の前に何が出るだろう?除去してしまうのがよいか、甘んじてダメージを受けるべきか?君に立ちはだかる脅威に対抗するチャンスは?デッキに関する知識こそが生命線だ。
原則として、構築のマッチで有効なクリーチャー(アタックしてくるのは有効なクリーチャーに入る)を除去しないとしたら、それは何らかの理由が必要になる。基本は殺してしまうこと。リミテッドでは真逆。生きていてほしくない理由がない限り、生かしておくのが基本になる。除去のほとんどない構築デッキはこの2つの中間になるだろう。枚数は把握しておいて欲しいが、出てくるもの全てを除去しきれなくとも心配することはない。だが除去を使うことが怖いなら、心に留めて欲しいことがある。力押しで問題を解決できないなら、それは除去の使い方が足りないということ。何故もっと使わない?
もっと大事なことのためにマナを使っており、除去に回すだけの余裕がないという理由以外で何かを除去しないとしたら、少なくとも数ターン以内に何とかできるのが望ましい。君の大きなクリーチャーでは相手のクリーチャーを何とかできないようなら全体除去を使えばいい。この先出てくるであろう脅威について意識しすぎてしまう落とし穴について、私の考えはこうだ。手札にある最後の除去は場にある何かしら許されないもののために残しておくこと。1ターンに1点のダメージを許容でき、マナを割く価値がないなら、稲妻のらせんや最後の喘ぎをパワー1クリーチャーに使ってはいけない。パワー2のクリーチャーを無視できて、他にもっと有効なターゲットがあるなら、無視できる間は温存すること。問題になってきたら何であれすぐに使おう。相手のストックしてあるリソースが君より少ないなら、君は生き残れる。
前に書いた全体除去の話と同じに見えないだろうか?単体除去と全体除去は程度の違いでしかないため、共通点が多く浮かび上がる。全体除去の肝は、使いどころが正しければ強烈なインパクトを与えうる安全弁として機能する。単体除去もやり過ぎないという以外は同じだ。君が除去するのは小さいクリーチャーかもしれないし、大きいクリーチャーかもしれない。あるいは殺す必要のないクリーチャーだったり、嫌なクリーチャーだったりする。最も大事な2つの論点は、いかにして良好なボードポジションを確保するか、そして短期的には生存・長期的にはアドバンテージを得るかだ。
基本的な事柄を見るにつけ、これまで私が論じてきた、あまたのMTGの原則は類似しているかのように思える。なぜなら実際に同じだから。MTGに対する私のアプローチの基本的なところは、何が重要かという判断、そして互いのプレイヤーにとって重要なものが違っているということを流れに沿って分かりやすく説明するということである。ゲームの全体像は、いかなる部分よりも重要であり、それと同様に、このゲームの性質を知ることは、どんなデッキやマッチのプレイの仕方を知ることよりも大事なのだ。
賢明なる読者諸君には、これまで私が書いてきたゲームのシチュエーションとアドバイスにパターンがあるのをご推察のことと思う。MTGは無限の可能性と戦略の深さがあるゲームだが、その中にある基本的な原則が君の役に立つ。君のゴールは勝利で、それを念頭に置いた全ての決定がゲームの流れや勝つ可能性につながっていく。勝利が確定しているときでも、もうどうやっても負けるときでも役に立つトリックがあり、今回はその全体像の理解のため、リスクの概念を見ていきたい。まず私が言わんとする概念が分かりやすいデッキ構築から入り、まだよく扱っていない事柄について筆を進めよう。
MTGというゲームの中には、どれほどの努力にもかかわらず、たくさんの誤ったことがまかり通っている。しかしそれぞれは間違っていても、まとまるとそのリスクが最小化されたり消えたりすることもある。土地事故を起こしたくなければ、土地は多めに。2マナクリーチャーを出したいなら、たくさんプレイすること。除去が切れて大きなクリーチャーに殺される、というのが嫌なら小さいクリーチャーに使うのは控えること。プレイするべきカード、守るべきところを見極めよう。
MTGは明らかにリスクを強いるカードゲームだ。全てのゲームに勝ったり、あらゆる可能性から身を守る術などない。リミテッドでも、構築でも、デッキを組むのは何を警戒するか選ぶところから始まる。デッキ構築はジレンマの「原形」を見ることができるし、サイドボードでもそれは何ら変わりない。最も単純な例から始めると、どのデッキも何枚の、どのタイプの土地を入れるか決めなくてはならない。今日では使う土地を選ぶのは容易ではない。よい選択肢はたくさんあるが、2色以上をプレイしようとするなら、特にディセンションが入ってからは君が選び抜いた以外にもたくさんのやり方がある。例えば白赤青をプレイしていると仮定しよう。そうすると、ラヴニカのデュアルランドを12枚、ペインランドが12枚にお帰りランドが12枚。これに基本地形や印鑑などのサポートが加わってマナベースが出来上がる。
これらそれぞれに長所・短所がある。1種類の土地をデッキに入れれば入れるほど、その短所が顕著になる。デュアルランド1枚ならば安全にタップ状態でプレイできるが、あまりに数が多くなると2ライフ支払う場合も多くなり、それだけ自分の首も絞まる。ペインランドは短期的には素晴らしいが、長期的には色マナをダメージなしで出せないのでやがてライフが尽きてしまう。お帰りランドはデッキを遅くし、OwlingMineのような相手だと全く使い物にならない。基本地形は堅実だが、多色のサポートはできない。このため大部分のデッキは色々なタイプの土地を併用してリスクの分散を図っている。多くのプレイヤーがやっている大きな間違いとして、ある種類の土地を抜いて別の種類の土地に差し替えようとすることがあるが、これは百害あって一利なしだ。
つまりどういうことか?最初に4枚のペインランドを試してみていい感触だった。ところが5枚目を入れてみると引き過ぎたため外す。次にラヴニカのデュアルランドを使ってみて、6枚以上になるとライフが減りすぎるので削る。カードの差し替えはいつも簡単で楽しいものだ。誰もが1枚目のメロクは大好きだが、4枚入れても大丈夫であることに気づいた勇者が現れるまではしばらくかかった。この手のケース全てにおいて、同名のカードの1枚目より2枚目以降は価値が低い。ある程度で止めておけば君は丁度いい塩梅だと思うかもしれないが、おそらくそれは十分ではない。こうしたことが起こる理由の一つとして、プレイヤーはあるリスクを「背負うべきではない」と考えていることがある。望む色マナが得られないリスクは避けられないこともあるので仕方ないが、土地からのダメージが大きくなりすぎるリスクは避けられる。だがこの2つのリスクは違うように見えて同じだ。何かしら重要なものを犠牲にすることでリスクをゼロ、あるいは実質ゼロに抑えることもできるが、失われるチャンスはそれ以上だ。逆もまた真なり。ある種のだいぶ慣れてしまったリスクを「想定内の事態」と捉えることで、試す価値が出てくる事柄もあるかもしれない。
こうした現象はゲームの間いつでも起こっているが、具体例に入ろうとして非常に面白いことに気が付いた。これらがみなデッキ構築の際にした決定に由来するかのように思えるのだ。いつでもそうだとまでは言わない。確かにすべてそうというわけではないのだが、君が作り上げた選択肢が後でゲームの場に跳ね返ってくる。君はデッキのパーツを使ってゲームを行い、デッキは君にゲームの中で起こりうる事態とその可能性を教えてくれる。相手のデッキを知るということは相手の使っているパーツを知るということだ。決定が複雑になればなるほど双方のデッキに関する知識は深まり、発見も多くなる。そのためゲームの、とある一面だけ残りから切り離して考えることは不可能だ。
この事実は、私がまだ体系的に取り扱っていない中で最も重要な事柄に通じる。すなわち、単体除去の使用、特にゲームの序盤に出てくるクリーチャーに対してだ。見たもの全てを焼いて殴られないようにしようとすると、後からやって来る、より大きな脅威をどうにもできないかもしれない。しかし使い惜しみすると無用なダメージを受け続けるリスクがある。どちらにするか決めかねるようなら、確率の計算の出番だ。君は何を引き、君の前に何が出るだろう?除去してしまうのがよいか、甘んじてダメージを受けるべきか?君に立ちはだかる脅威に対抗するチャンスは?デッキに関する知識こそが生命線だ。
原則として、構築のマッチで有効なクリーチャー(アタックしてくるのは有効なクリーチャーに入る)を除去しないとしたら、それは何らかの理由が必要になる。基本は殺してしまうこと。リミテッドでは真逆。生きていてほしくない理由がない限り、生かしておくのが基本になる。除去のほとんどない構築デッキはこの2つの中間になるだろう。枚数は把握しておいて欲しいが、出てくるもの全てを除去しきれなくとも心配することはない。だが除去を使うことが怖いなら、心に留めて欲しいことがある。力押しで問題を解決できないなら、それは除去の使い方が足りないということ。何故もっと使わない?
もっと大事なことのためにマナを使っており、除去に回すだけの余裕がないという理由以外で何かを除去しないとしたら、少なくとも数ターン以内に何とかできるのが望ましい。君の大きなクリーチャーでは相手のクリーチャーを何とかできないようなら全体除去を使えばいい。この先出てくるであろう脅威について意識しすぎてしまう落とし穴について、私の考えはこうだ。手札にある最後の除去は場にある何かしら許されないもののために残しておくこと。1ターンに1点のダメージを許容でき、マナを割く価値がないなら、稲妻のらせんや最後の喘ぎをパワー1クリーチャーに使ってはいけない。パワー2のクリーチャーを無視できて、他にもっと有効なターゲットがあるなら、無視できる間は温存すること。問題になってきたら何であれすぐに使おう。相手のストックしてあるリソースが君より少ないなら、君は生き残れる。
前に書いた全体除去の話と同じに見えないだろうか?単体除去と全体除去は程度の違いでしかないため、共通点が多く浮かび上がる。全体除去の肝は、使いどころが正しければ強烈なインパクトを与えうる安全弁として機能する。単体除去もやり過ぎないという以外は同じだ。君が除去するのは小さいクリーチャーかもしれないし、大きいクリーチャーかもしれない。あるいは殺す必要のないクリーチャーだったり、嫌なクリーチャーだったりする。最も大事な2つの論点は、いかにして良好なボードポジションを確保するか、そして短期的には生存・長期的にはアドバンテージを得るかだ。
基本的な事柄を見るにつけ、これまで私が論じてきた、あまたのMTGの原則は類似しているかのように思える。なぜなら実際に同じだから。MTGに対する私のアプローチの基本的なところは、何が重要かという判断、そして互いのプレイヤーにとって重要なものが違っているということを流れに沿って分かりやすく説明するということである。ゲームの全体像は、いかなる部分よりも重要であり、それと同様に、このゲームの性質を知ることは、どんなデッキやマッチのプレイの仕方を知ることよりも大事なのだ。
コメント